浅田彰はこう語った?
ひとびとが分析的知性と呼んでいるものがあるが、浅田彰にとってそれはこの上なく溌剌とした楽しみの源泉であり、錯綜した事物の解明において超自然的とさえ映ずるような鋭利さを示す。
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浅田彰のデリダ追悼シンポジウム
死んだジャック・デリダを追悼するシンポジウムが浅田彰、柄谷行人、鵜飼哲によって行なわれ、ジャック・デリダ+柄谷行人+浅田彰の鼎談の再録とともに『新潮』2月号に掲載されている。

これに関してちょっとした騒動が発生した。

まず、はてなダイアリーの「Vrai-Faux Passeport」というブログに、このシンポジウムの録音から起こした記事が「哀悼、贈与そして痕跡 」と題されて、2004年12月13日から12月24日にかけてこつこつと掲載されていった。

2005年1月21日、そのブログに何者かによって浅田彰の抗議のメッセージを含む文章がコメントとして書き込まれた。はてなユーザーしかコメントできない設定だったため、そこにリンクを張っていた「paint/note」というブログを管理している浅田彰の知人が仲介を依頼され、メールを転載したのだった。そこには勤務先である京都大学のメールアドレスも書かれていた。

その内容は、公開の催しの記録を聞き間違いを含む形で勝手にネット上に発表したことについて自省を促し、エネルギーをもっと生産的な形で活用するよう示唆したものだった。

それに対応して、シンポジウムの記録はすぐに削除された。しかし、それは1月23日の「君のあの人は、今はもういない。ジャック・デリダと仕組まれた罠。」と題された記事とともに再アップされた。内容はそのままで、あやしげな関西弁に書き換えたものだった。さらに、間違いを含む形で恣意的にアップロードしたという挑戦的な文章が添えられている。

デリダは誤読を肯定したというふうに知られている思想家であるだけに、デリダ追悼シンポジウムが間違いや誤解などを含む形で引用されていくことは、デリダの思想に即しているという判断だったのだろう。

それに対する浅田彰の反応が注目されていたが、それは1月25日に週刊ダイヤモンドのサイトで田中康夫とやっている人気ページの「第二十九回 続・憂国呆談 番外編Webスペシャル 2005年2月号」の注として書き込まれた。

「Vrai-Faux Passeport」に書き込んだコメントの転載とともに事の顛末を簡潔に説明しつつ、情報は正確でなければならないということに的を絞って回答したものだった。デリダも、正確に読もうとするからズレが生じてしまうという問題を考えていたらしい。それのどこが生産的なのか分からないが、とにかく、そういうことだ。

こういうことは80年代に「EV.Cafe」や「若者たちの神々」などで自著をもてはやす人たちに苦言を呈していたのと同じようなことかもしれない。

とりあえず、問題の「Vrai-Faux Passeport」のシンポジウムの記録はまた削除されたようだ。


このほかにも、浅田彰が他人のブログに登場することがある。たとえば、極東ブログの「パウエル米国務長官が辞任」では誤訳を指摘しにやってきた。翌日の記事である「ライス国務長官とCIA騒動で最強のブッシュ政権ができる」にも誤訳を指摘しにやってきたが、漢字を間違えたまま風のように去っていった。


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京大でのデリダ追悼シンポの記録が「新潮」に掲載され、こちらが決定版ということらしいが、現場にいた人間として感想を述べたい。●柄谷氏が晩年のデリダを過小評価するトーンはもっと強烈であったように思われる。経済モデルの柄谷VS暴力モデルのデリダという対立モ
2005/02/27(日) 00:42:00 | 本上まもるブログ
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