浅田彰はこう語った?
ひとびとが分析的知性と呼んでいるものがあるが、浅田彰にとってそれはこの上なく溌剌とした楽しみの源泉であり、錯綜した事物の解明において超自然的とさえ映ずるような鋭利さを示す。
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浅田彰と宮台真司の微妙な関係
80年代に有名になった浅田彰と90年代に有名になった宮台真司のどちらが本当に偉いのかということは、少なからぬ人々の関心を呼んできた。

宮台真司は、自身のインタビュー集である新刊「宮台真司interviews」のなかでも何度か浅田彰についてのコメントを求められている。


この本で、宮台真司の貴重な浅田彰批判を読むことができるのだが、それはすでに一般に言われていることを反復しているようなところもあり、過激さにはかける。

また、ネット上でも「宮台真司のこれも答えですよ!」などですこし浅田彰についてコメントしているが、褒めるでも貶すでもないような内容になっている。このように二人は甘噛みしあうような関係だった。

そんな中でマスコミを騒がせたのは2000年の「噂の真相」4月号の浅田彰・田中康夫・中森明夫による鼎談「90年代の論壇・文壇状況の検証!!“身の程を知らない文化人”を斬る!」だった。ここでさまざまな文化人とともに斬られた宮台真司が、それに対しネット上ですばやくレスポンスして、この件はさらに注目を集めることになり、宅八郎のサイトの「中森明夫が生き恥をさらした日!!」など、さまざまなところで言及された。

残念ながらその宮台真司のレスポンスは現在では読むことができないようだ。休刊になった「噂の真相」のサイト「ポスト噂の真相」の「本誌4月号特別鼎談に宮台真司が反論!」やその他の掲示板でいくらかそれが引用されている文章が残っているだけだ。だがもともとそのレスポンスも、冷静に浅田彰の発言を肯定した上で社会学について解説するというかなり穏便なものだった。

浅田彰の宮台真司批判はその後も繰り返された。「GQJapan」誌の田中康夫との対談「新・憂国呆談」で浅田彰はかなり熱心に社会学や宮台真司の批判を行っている。これは「新・憂国呆談―神戸から長野へ」に収められた。


それから数年後、長野県知事に納まっていろいろ物議をかもしながらも県政に尽力する田中康夫のところに訪れた宮台真司は、田中康夫こそ真の保守だと伝えた。この言葉を気に入った田中康夫が「続・憂国呆談」の場でいささか興奮気味に語るのに対し、浅田彰は無難な相槌を打つにとどめた。この様子は「連載 第三十回「続・憂国呆談」番外編Webスペシャル モノローグの時代?」で読むことができる。



浅田彰と宮台真司との接触は、2005年11月に「ニッポン解散 続・憂国呆談」と「限界の思考」の出版記念イベントとして続・憂国呆談に宮台真司がゲスト参加する公開鼎談というかたちで実現し、その様子が「不安から自律へ【完全版】」にようやくアップロードされたので追記しておこう。





浅田彰と宮台真司との二度目の接触が2006年6月10日に行われたICCのシンポジウム「第一回「ネットワーク社会の文化と創造—開かれたコミュニケーションのために」」で実現し、動画がアップロードされたので追記しておこう。斎藤環と藤幡正樹も参加して会場を盛り上げた。宮台真司が浅田彰や斎藤環を挑発する場面もあったが、おおむねスムーズに進行した。





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必読書150の浅田彰
批評家や作家としても名前のある近畿大学の教師たちが学生に読ませる本のリストを作ろうとして出来上がったのがこの「必読書150」で、柄谷行人の序文によれば浅田彰も積極的に参加したらしい。



本書はその教師たちの座談会で始まっているのだが、これには浅田彰は参加していない。冒頭で浅田彰による「反時代的教養主義宣言」と題されたメモが読み上げられるだけだ。あとは残りのメンバーたちの地味なトークが続く。

そのあとは、浅田彰によるプラトンの「饗宴」の書評を筆頭に、150冊の必読書を教師たちが分担して紹介していく。浅田彰が紹介したのは以下の本だ。

饗宴」プラトン
ユートピア」トマス・モア
グラマトロジーについて 上」ジャック・デリダ
グラマトロジーについて 下」ジャック・デリダ
アンチ・オイディプス」ジル ドゥルーズ (著), フェリックス ガタリ
オイディプス王」ソポクレス
パウル・ツェラン全詩集〈1〉」パウル・ツェラン
パウル・ツェラン全詩集〈2〉」パウル・ツェラン
パウル・ツェラン全詩集〈3〉」パウル・ツェラン

どれもチャーミングな書評だ。「読書の快楽―ブックガイド・ベスト1000」の「ノン・ジャンル ベスト60」のときなどとは違って硬い本ばかりなのだが、浅田彰らしく、極端に古いものと新しいものが選ばれている。


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浅田彰とスキゾ・パラノ
文学賞にあれこれ苦言を呈しつつも、自ら文学界新人賞、ドゥマゴ文学賞、新潮新人賞の選考委員を務め、芥川賞作家のモブ・ノリオを世に送り出したり、POP文学について熱く語ったりしている浅田彰だが、その浅田本人にも輝かしい受賞歴がある。

毎年、年末になると話題にのぼる流行語大賞は、1984年に創始された。そして、その第1回の新語部門・銅賞には浅田彰の「スキゾ・パラノ」が選ばれたのだ。ドゥルーズの思想の要約とともに公式サイト「新語・流行語大賞」にしっかりと記録されている。

ただし、新語部門・特別賞を「特殊浴場」で受賞したトルコ人などの写真の背後に「彰」という文字が見られるものの、これは浅田彰の名前が書いてあるのではない。あくまで「表彰」という言葉の一部でしかないということは強調しておきたい。

広く知られているとおり、この「スキゾ・パラノ」は、1984年のベストセラー「逃走論―スギゾ・キッズの冒険」とともに有名になったフレーズである。


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浅田彰のデリダ追悼シンポジウム
死んだジャック・デリダを追悼するシンポジウムが浅田彰、柄谷行人、鵜飼哲によって行なわれ、ジャック・デリダ+柄谷行人+浅田彰の鼎談の再録とともに『新潮』2月号に掲載されている。

これに関してちょっとした騒動が発生した。

まず、はてなダイアリーの「Vrai-Faux Passeport」というブログに、このシンポジウムの録音から起こした記事が「哀悼、贈与そして痕跡 」と題されて、2004年12月13日から12月24日にかけてこつこつと掲載されていった。

2005年1月21日、そのブログに何者かによって浅田彰の抗議のメッセージを含む文章がコメントとして書き込まれた。はてなユーザーしかコメントできない設定だったため、そこにリンクを張っていた「paint/note」というブログを管理している浅田彰の知人が仲介を依頼され、メールを転載したのだった。そこには勤務先である京都大学のメールアドレスも書かれていた。

その内容は、公開の催しの記録を聞き間違いを含む形で勝手にネット上に発表したことについて自省を促し、エネルギーをもっと生産的な形で活用するよう示唆したものだった。

それに対応して、シンポジウムの記録はすぐに削除された。しかし、それは1月23日の「君のあの人は、今はもういない。ジャック・デリダと仕組まれた罠。」と題された記事とともに再アップされた。内容はそのままで、あやしげな関西弁に書き換えたものだった。さらに、間違いを含む形で恣意的にアップロードしたという挑戦的な文章が添えられている。

デリダは誤読を肯定したというふうに知られている思想家であるだけに、デリダ追悼シンポジウムが間違いや誤解などを含む形で引用されていくことは、デリダの思想に即しているという判断だったのだろう。

それに対する浅田彰の反応が注目されていたが、それは1月25日に週刊ダイヤモンドのサイトで田中康夫とやっている人気ページの「第二十九回 続・憂国呆談 番外編Webスペシャル 2005年2月号」の注として書き込まれた。

「Vrai-Faux Passeport」に書き込んだコメントの転載とともに事の顛末を簡潔に説明しつつ、情報は正確でなければならないということに的を絞って回答したものだった。デリダも、正確に読もうとするからズレが生じてしまうという問題を考えていたらしい。それのどこが生産的なのか分からないが、とにかく、そういうことだ。

こういうことは80年代に「EV.Cafe」や「若者たちの神々」などで自著をもてはやす人たちに苦言を呈していたのと同じようなことかもしれない。

とりあえず、問題の「Vrai-Faux Passeport」のシンポジウムの記録はまた削除されたようだ。


このほかにも、浅田彰が他人のブログに登場することがある。たとえば、極東ブログの「パウエル米国務長官が辞任」では誤訳を指摘しにやってきた。翌日の記事である「ライス国務長官とCIA騒動で最強のブッシュ政権ができる」にも誤訳を指摘しにやってきたが、漢字を間違えたまま風のように去っていった。


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